klora’s blog

バレー、映画、ドラマなど好きなことと、日々の考えの記録

何年生きてても苦手なこと

この話は、わからない人には何を言ってるのか?という話かもしれません。

タイトル通り、何年生きてても何回経験しても苦手なこと

それは、人と別れる時の バイバイ をどこまでやればいいのか、である。笑

というのは、バイバーイとしていて、いつまで振り返って手を振りかえすべきなのか、その「いつまで」のタイミングがわからない。

人によっては、わたしの姿が見えなくなるまでバイバーイと振ってくれている人もいて、かなり遠くまで行って振り返すのも少し恥ずかしい。

そして人よっては、すぐその場からいなくなってしまう人もいて、振り返って手を振るタイミングがなくなることがある。

だからいつも別れ際のバイバーイが苦手で、いつまでも克服できない。

多分これはわたしくらいしか悩んでいないだろうが、、、ふと書き留めておきたかったのでここに記しておくことにした。

みなさんも、何年生きてても大したことないが苦手にしていることはないだろうか??

想像力のはなし

想像力はとても大切な要素だと思う。

ここで言う想像力は、二つのパターンがあり、1つは他人が何故そんな行動や言動をしたのかを考える想像する力。2つ目は自分がした行動や言動で人がどう思うか想像する力。

 

何故想像力が大切と考えているかというと、想像力の欠如によって、自分の価値観だけで考えてしまうことで、人を傷つけたり、傷つけられたり、人同士の軋轢や誤解を生じさせてしまったり、怒りを覚えたりすることがあるからだ。

 

自分の価値観の範疇を超えた行動や言動をする人と接すると、時に怒り傷ついたりする。

しかし、その人にはその人なりの事情があり、なにか考えがあったやったことかもしれない。だからこそ、その行動や言動だけで自分の軸で判断するのではなく、想像力をもって、「何故このような行動や言動をしたのか」を考えることは、大切なことだ。

 

また、自分の発言や行動も同じである。じぶんがこうしたい、と思うことに対して、過度に周りの人がどう思うかは考えなくても良いが、周りの人を不快にさせることはないだろうか、ということは想像する必要がある。

 

ただ、日頃、想像力が大事だと自分に言い聞かせている自分であるが、いざ嫌なことが起こると、やはり自分の価値観で判断してしまう。想像すらしようとしなくなる。

でもこれは当然の事象だと思う。人は自分が大切で自分がいいように物事を考えてしまう傾向があるからだ。人、というか生き物全部そういうものではなかろうか。

だからこそ、無理に想像力を鍛える必要はない。ただ、想像力こそが人への思いやりにつながっていくと思うし、自分が気持ちよく過ごすことにもつながる。それぞれのちょっとした想像力が働く世の中であってほしい。

 

やってしまった!と思うこと

あー、やってしまったなあ、人に迷惑をかけてしまったな、嫌な思いをさせてしまったなということは何日か、何週間かの周期でやってくる。

自分としては良いプロセスでやったと思ってても、穴があって、もう少し考えれば人に迷惑かけなかったのに。ということもしばしば。

大抵そう言う時は、自分の「やってしまったな」の反省が少し薄れてしまった時にやってくるもので、世の中はそういう意味ではいいようにできてるなあと思ってしまう。

 

私の場合、基本的にガラスのハートなので、そういうことが起きるととても落ち込む。今日もその状態である笑。

こういうとき、みなさんはどんなふうに気持ちをリフレッシュしているだろうか?

気持ちの切り替え上手になりたいと強く思う今日である。

他人の目

私は昔から周りの人にどう見られるか、どう評価されているかを気にしてばかりいた。なにかする前に、これをしたらどう思われるだろうか、と。そんな考え方だったので、自分で自分の選択肢を狭めてきたような気がする。

 

ただ、最近その考えが変わってきた。

私が自分の言動や行動に細心な注意を払ったとしても、逆に私らしく行動したとしても、何をしても批判する人は批判してくるし、そうでない人もいる。だからこそ、もう他人の評価は気にしないように、自分らしく、自分の納得する言動や行動をしようと思う。

日々、自分の一挙手一投足を見て評価されているんだろうな、と感じることもあるが、自分が納得しない行動をしていると疲れてしまい、自分が何か分からなくなってきてしまう気がする。

自分らしく、のびのびと明るく生きていきたい。

新聞を読むとき

毎朝新聞を読むとき、私は今日こそは良いニュースはないだろうか思いながら、良いニュースを探している。

日々伝えられる新聞記事の中には、日本・崩壊という言葉や少子化の言葉、、まるでお先真っ暗みたいな記事がよく目に入る。たしかに日本のお先は真っ暗なのかもしれない。それでも、日本には日本のいいところがあり、それを全く書かないのは何故だろうか、といささか疑問なのである。仕事している以上、新聞は読まなければならないと思うのだが、読んでいるとだんだん、ずーんと気持ちが落ちていく。

新聞は世間の問題を伝える機能・役割なのかもしれない。

ただ、たまには日本の素晴らしさを伝えるような記事で新聞をいっぱいにしてくれないだろうか、、!とひそかにいのっている。

 

久々の新幹線

久しぶりに東京駅から東海道新幹線に乗ったのだが、ふと嬉しくなる光景があった。

修学旅行生と思われる学生たちが新幹線のホームに大勢いたこと。コロナ流行から修学旅行生らしき学生をあまり見ることがなかったが、その景色が少し戻ってきていた。

私が学生の頃はコロナもなく、「修学」旅行とはいうものの、心は旅行気分。私の場合、ではあるが、修学旅行は学生生活の楽しみイベントの一つであったため、コロナになってから修学旅行に行くことができなかった最近の学生たちは落胆したのではないか、と思っていた。

昔は当たり前であった修学旅行が、コロナ禍となり当たり前ではなくなった。コロナ禍と言われ始め早3年経とうとしている。修学旅行に限った話ではなく、コロナ前に「当たり前」と思っていた景色が少しずつ戻ってきてほしいものである。

人に期待をする

人に期待をしてしまったことで、期待通りにならなかった時に落ち込んだり、不快な気持ちになったりすることがある。

ここでいう期待は、「この人はこのようなことをするだろう、してくれるだろう」と思うことである。私の場合、日々そのような期待を勝手ながら抱いていることが多い。

例えば、仕事の時。ちょうど今日あった出来事なのだが、同じ部署の人が体調不良でお休みとなった。私としては、当然その人が休みであるという情報を上司から連携されるものだと「期待」していた。

しかし、その「期待」通りとはならず笑。私たち同じ部署の人たちには一切その人が休みである情報は共有されず、結果的に上司が電話でその人が休みであることを話しているのを盗み聞きして知った、という結果となったのである。今回に限っては、特に緊急性のある仕事もなく、事なきを終えたが、だからといって情報共有しないという上司の考えが、かなり私の期待とは異なっていたので、理解できないな。という気分になった。

 

このように、私が勝手に人に「期待」してしまったことで、それどおりとならなかった時に、不快な気持ちになることはよくある。だからこそ、前々から私は人にあまり期待しないようにしよう、と心に決めているのだが、やはり今日のように期待してしまう癖はなかなか直らない。

みなさんは、こんな時どういうふうにしているのだろうか?と未だに疑問が残る事柄である。