klora’s blog

バレー、映画、ドラマなど好きなことと、日々の考えの記録

小さい頃の教え

最近、よく子供の頃を思い返すことが多い。子供の頃は、なんでこんなに親や大人に注意されるのだろう、早く大人なりたい、と強く思っていた。

しかし、人はないものねだりなもので、いざ大人になり日々を過ごしていると、子供の頃はなんとイキイキしていたのだろうと子供の頃の良さを羨むことがある。笑

 

少し脱線してしまったが、タイトルの話、小さい頃の教え、について書きたいと思う。子供の頃に親や大人から教えられたことで、なにが心に残ってるだろうか。

わたしの場合、「自分としては言ったとしても、相手に伝わっていないのならそれは言ったことにはならない」

である。

 

なぜこの教えが心に残ってるかというと、私の人生のなかで、10本の指には入るほどの悔しい出来事があったからである。

 

細かい経緯は忘れてしまったのだが、私はある事を親に言った(私の中では絶対親に言っていると思ってる)にも関わらず、親は私に言われてないといい、言った言わない論争になった。そして、親に「相手に伝わってないなら言ったことにならない」とぴしゃりと言われ、頭の回転が遅い当時の私はそれ以上言い返すことができなかった。

自分としては絶対言ったにも関わらず、それを私のせいにされたことに対するあまり悔しさに、私は自分の部屋に行き、枕に顔を突っ伏してわんわん泣いたのだった。こんな理不尽なことはあるか、と。

 

しかし、あれから数十年。今思い返すと、全ての状況において適用されるわけではないが、親の言っていることは間違っていないと思う。

なぜなら、もしかしたらその時の私は、自分が言ったことに対して親が返事したことを確認していなかったかもしれないし、テキトーに伝えてしまっていた可能性もあるからだ。それでは、「言った」かもしれないが「伝えた」にはならない。今になってみるとそう感じる。

そして、親の教えが間違ってないと感じる理由がもう一つある。それは日々仕事をしている上で、言ったけど伝わってない状況を目の当たりにすることがあるからである。

例えば、朝出社をした時の挨拶。私が挨拶をした時返してもらう挨拶は人によって千差万別。元気に挨拶してくれる人もいれば、目も合わせずパソコンを見ながら小さな声で挨拶をする人もいる。私としては、後者のタイプの人には挨拶をされた印象がない。これも、「おはようございます」と「言った」けれど相手に「伝わっていない」例の一つである。

また、上司に仕事に関して報告をしたり、同僚等に仕事を依頼するとき。同じ伝え方をしたとしても人によって伝わり方はまちまちである。

自分としては丁寧に伝えたつもりだが、「そんなこと言われてない」と言われたり、ちゃんと伝わってない場合がある。

 

「伝える」と「言う」の違い。何度も、伝わってないのかと落胆する。だが、数十年前に悔しい思いをした教えを思い出し、伝える側に責任があることを言い聞かせ、自分を奮い立たせている。