klora’s blog

バレー、映画、ドラマなど好きなことと、日々の考えの記録

涙を流すこと

最近最後に泣いたのはいつだろうか。滅多に泣かない人もいれば、涙脆い人もいる。

私の場合、多分日本で上位100人の中に入るくらい涙脆く、1週間のうち半分は泣いていると思う笑。

訳もわからず泣くわけではない。感受性が豊かなのか、嬉しい、悔しい、切ない、悲しい、感動、いろんな理由で泣く。

特に、ドラマや映画、スポーツを見ていると高確率で泣いてしまう。最近はその涙脆さに、私は大丈夫なのか?と思うことがあった。

 

そんなことを思っていた矢先、この前テレビで、「涙 というのは、さんずいに戻るとかく。水を流して自分の元の状態に戻ること。涙を流すことは決して悪いことではない」と言う話があった。

なるほど、私の涙脆さは決して変な状態ではないのか、と少し安心したと同時に、

「泣(く)」というのは、「水を流して立つ、水を流して、次に進むために立ち上がる」ということなのかもしれない。

とも思った。

もしかしたらこのような意味じゃないかも違うかもしれない笑。しかし、日々色んなことがあって泣きたくなる時もあるが、泣くことを我慢しなくてもいい。立ち上がるために、泣くことも時には必要なのかもしれないな、と思う。

小さい頃の教え

最近、よく子供の頃を思い返すことが多い。子供の頃は、なんでこんなに親や大人に注意されるのだろう、早く大人なりたい、と強く思っていた。

しかし、人はないものねだりなもので、いざ大人になり日々を過ごしていると、子供の頃はなんとイキイキしていたのだろうと子供の頃の良さを羨むことがある。笑

 

少し脱線してしまったが、タイトルの話、小さい頃の教え、について書きたいと思う。子供の頃に親や大人から教えられたことで、なにが心に残ってるだろうか。

わたしの場合、「自分としては言ったとしても、相手に伝わっていないのならそれは言ったことにはならない」

である。

 

なぜこの教えが心に残ってるかというと、私の人生のなかで、10本の指には入るほどの悔しい出来事があったからである。

 

細かい経緯は忘れてしまったのだが、私はある事を親に言った(私の中では絶対親に言っていると思ってる)にも関わらず、親は私に言われてないといい、言った言わない論争になった。そして、親に「相手に伝わってないなら言ったことにならない」とぴしゃりと言われ、頭の回転が遅い当時の私はそれ以上言い返すことができなかった。

自分としては絶対言ったにも関わらず、それを私のせいにされたことに対するあまり悔しさに、私は自分の部屋に行き、枕に顔を突っ伏してわんわん泣いたのだった。こんな理不尽なことはあるか、と。

 

しかし、あれから数十年。今思い返すと、全ての状況において適用されるわけではないが、親の言っていることは間違っていないと思う。

なぜなら、もしかしたらその時の私は、自分が言ったことに対して親が返事したことを確認していなかったかもしれないし、テキトーに伝えてしまっていた可能性もあるからだ。それでは、「言った」かもしれないが「伝えた」にはならない。今になってみるとそう感じる。

そして、親の教えが間違ってないと感じる理由がもう一つある。それは日々仕事をしている上で、言ったけど伝わってない状況を目の当たりにすることがあるからである。

例えば、朝出社をした時の挨拶。私が挨拶をした時返してもらう挨拶は人によって千差万別。元気に挨拶してくれる人もいれば、目も合わせずパソコンを見ながら小さな声で挨拶をする人もいる。私としては、後者のタイプの人には挨拶をされた印象がない。これも、「おはようございます」と「言った」けれど相手に「伝わっていない」例の一つである。

また、上司に仕事に関して報告をしたり、同僚等に仕事を依頼するとき。同じ伝え方をしたとしても人によって伝わり方はまちまちである。

自分としては丁寧に伝えたつもりだが、「そんなこと言われてない」と言われたり、ちゃんと伝わってない場合がある。

 

「伝える」と「言う」の違い。何度も、伝わってないのかと落胆する。だが、数十年前に悔しい思いをした教えを思い出し、伝える側に責任があることを言い聞かせ、自分を奮い立たせている。

 

 

歩いてる時

外で歩いている時、必ず音楽を聴いている。

 

イヤフォンをつけて聞くだけではなく、歌に合わせて小声で(自分では小声のつもり)歌っていると、まるで自分がとても歌が上手くなり、歌手になったと錯覚できる。笑

 

そして近くに歩いている人がいない時は、少し大きめの声で歌ってしまう。

つい先日、家族が後ろから近づいてきているのに気付かず、ミスチルの終わりなき旅を歌ってしまっていたら、とんでもなく音痴だと指摘された。

歌っていることを変だと言われるよりも、音痴と指摘されることがとても恥ずかしかった笑。

ただこの歌いぐせは中々治らない。なんにも考えず気持ちよくいられる一つの習慣だからである。

 

 

 

本当のチームワーク(世界バレーから学ぶ)

4年に一度開催されている世界バレーは男女ともに全日程を終え、全日本女子は準々決勝でブラジルに2-3で惜しくも敗れ、最終順位5位となった。

全10試合、全日本女子は本当に素晴らしいバレーボールをしていて、その彼女たちの戦う姿から、「本当のチームワーク」とは何かを学んだ。

 

日本女子のバレーは、伝統的にではあるが今大会もサーブ、ディグ、レシーブ、繋ぎ(2本目)の精度が世界の中でピカイチであった。しかしそれ以上に、今大会はチームワークがよく、チーム全員で戦っている姿やチームとして強い日本というのが1番印象に残った。

なぜそう感じたのかというと、コートに入っている選手6人・そしてコート外の選手やスタッフの、数字には表れてこないような他の人のために動く思いやりの姿勢、献身的な姿勢があったからである。

 

具体的には、

①1.2本目の精度の高さ

②ブロックフォローへの姿勢

③チーム内の声かけ

である。

 

①について。

バレーボールはスポーツの中でも、次の人のため、チームのためを思いやる姿勢がとても必要なスポーツである。

なぜなら、バレーボールではプレー中にボールを掴んでパス等をすることができず、自分があげたボール・繋げたボールがダイレクトに次の人のプレーに影響を与えるからである。

例えば、自分の一本目のレシーブが乱れてしまったら、次に触る人はそのあまり良くないレシーブを次の人に繋げなければならない。逆に言えば、いいレシーブをあげれば、つぎの人はいいトスをあげやすくなり、アタッカーは良い状態でスパイクを打ち、得点することができ、チームの勝利につながっていく。

その意味で、日本女子選手たちは相手からの強いスパイク等を、できるだけ次の人がトスをあげやすいようにあげようとしていたし、2本目に触る人たちはアタッカーに少しでもいい状態で打てるように丁寧にトスを上げていた。

 

②について。

日本チームは平均身長が178cmほどで、世界各国のチームより背が低い。一方、ヨーロッパ等のチームでは190cm以上の選手が3.4人コートにいることも多々ある。

日本の選手からすると、スパイクを打つ時に自分たちより20cm近く背の高い相手がブロックに飛んでくるので、ブロックをされてしまう可能性は高い。そんな状況ではあるが、アタッカーがスパイクを打つときは全員でフォローに入っていた。ブロックされたとしても、絶対にコートには落とさず次に繋げよう。アタッカーを一人にせず、全員で点をとりに行っている姿勢があった。

 

③について。

テレビの中継を見ていて、試合中のコート上の声がすべて聞こえてるわけではないのだが、それでもラリー中などの声が聞こえてくることが多々あった。

セッター関選手が、アタッカーが打つ時に「頑張れ!」と声をかけていたり、石川選手が関選手がトスをあげる時に「いいよ!」と声をかけていたり(トスあげてきて!というサインだと思う)。プレーをしてる選手を一人にせず、全員で常にお互いに声をかけていた。

 

上記に挙げた動きは、数字に表れない動きがほとんどである。だが、選手一人一人の、相手やチームを思う声掛けや行動が、チームとして大きな力となり、個の力は世界相手に劣ったとしても、6人としてのチーム力は相手に優っていた。

 

彼女たちがみせた、チームのために相手のために動く姿勢、これこそが「本当のチームワーク」ではないだろうか。個々がただ自分の仕事をするのでは、本当のチームワークではない。そこにプラス、数字に現れないような、個々が相手を思いやり行動することこそが、本当のチームワークである。

 

私たちは仕事で複数人で仕事を行うことが多々ある。バレーボール選手たちよりも、各々能力や価値観が異なる人たちが一つの「チーム」として仕事をし成果を出すことは難しい。だからこそ、個々が相手を思いやり行動することこそが大切となる。世界バレーを戦いぬいた全日本女子バレーの選手、スタッフたちからそれを学ぶことができた。

エネルギーに満ち溢れてる人

 

今日は、私の知り合いでエネルギーに満ち溢れてる人について書こうと思う。

 

その人は、たまにこちらが嫌になる程いつもポジティブで、何事にも熱く、声が大きい。

私はどちらかというと月のような人間なのだが、その人は太陽のような人、わたしと真反対といってもいいかもしれない。

今の時代あまりいないようなタイプな気もするが、皆さんの周りにもこんなタイプの人はいるだろうか?

 

その人が話してる内容をきくたびに熱心だなあ、と感心する日々であるが、この人から学んだことは沢山あり、その中でも大きくわたしの考えが変わったことを書きたいと思う。

 

それは、何事も自分次第であるということだ。

その人は、事あるごとに、何事も「自分の気持ち次第だ」とか「自分の取り組む姿勢次第だ」と口にする。

例えば、自分の力量以上の仕事を取り組まなければならないとする。失敗をしたくないし、あまり気が進まないのが私であるが、その人は何事も成長だと思い、楽しめという。

職場で、あまり挨拶をしない無愛想な人がいた時。その人は、他の人に対してする態度と同じくらいの熱量で接する。毎日根気強く明るく挨拶し続けてたからか、その無愛想な人もいよいよ挨拶をするようになった。

 

私もその人に言われたとおりに、ネガティヴなこと(人や状況)に対して、ネガティブなことを口にせずポジティブなことを口にして楽しんで取り組んだところ、不思議と状況が好転することがあった。

もしかしたらこれまでの私は、自分が置かれてる状況を勝手にネガティヴに捉えて、自分で状況をさらに悪化させてきたのではないだろうか、と気付かされたのだ。

 

わたしは、このエネルギーに満ち溢れてる人のようにはなれない、しかしこの人のおかげで、自分なりに楽しんで物事を取り組んだり、捉えることができている。

身近な人の良いところを学び吸収し、更に自分をステップさせていきたいと思う。

 

 

 

激闘の世界バレー

#火の鳥ニッポン世界バレー#女子バレー#バレーボール#全日本女子バレー#石川真佑

 

女子の世界バレー

これまで20年近く日本代表の試合を見てきたが、年のせいもあってか笑、初めて涙を流してしまうほど感動の試合、大会であった。

 

結果として、日本女子代表は、準々決勝でブラジルと対戦し、セットカウント2-3で破れ、世界バレー最終順位5位となり、激動の世界バレーは幕を閉じた。

準々決勝にたどり着くまでに、1次リーグで5試合、2次リーグで4試合をしており、試合と試合の間はあいても1日のハードスケジュール。

1次リーグでは中国に負けてしまい、そしてその試合でエースでキャプテンの古賀選手が怪我をしてしまう。だが、その次の試合で古賀選手に代わってスタメン起用となった石川真佑選手(お兄さんは男子代表のキャプテンの石川祐希選手)等の活躍で、世界ランク2位のブラジルを3-1で破った。

2次リーグでは、イタリアには敗れたものの、高さのあるベルギーやオランダに勝ち、準々決勝に駒を進めた。

 

そして準々決勝。ブラジルとの再戦。ここからは負けたら終わりのトーナメント方式であったため、両チーム気迫がすごかった。

高さのあるブラジルに対して、日本は全選手の中でサーブランキング3位(当時)の石川選手等がサーブで相手を崩していき、相手の強いスパイクに対しては粘り強くレシーブを拾い、セットカウント2-0とした。

 

しかし、3.4セットは、日本のつなぎでのミスが重なったことで、ブラジルのリズムにのまれ、逆に2セットとられてしまい最終第5セット。

ブラジルのリズムはよく、6-8と2点リードされる。しかしそこから石川選手が2連続で得点し8-8と同点となった。

 

そこから一進一退となるが、13-14とリードされてしまい、ブラジルのマッチポイント。

相手のスパイクを拾ったあと、石川選手がいるレフトにトスが上がる。しかし、石川選手が思いっきり打ったスパイクはネットを越えず、ブラジルの勝利となった。

ブラジルの勝利が決まった後、ブラジルの選手たちは喜びを爆発させる。一方、ネット挟んだ日本側では、両チーム最多のブロックポイントを記録したミドルの山田選手は涙を流し、石川選手は自責の念に駆られて「ごめん、ごめん」とセッターの関選手や林選手にしきりに謝る。彼女の責任ではないにも関わらず。

 

セットカウント0-2からの逆転負け。

しかし、ブラジルが今大会唯一負けてる相手が日本であり(現在決勝の前)、そのブラジルを土俵際まで追いやった。試合後のインタビューで、相手のエース、ガビ選手は日本の動きは素晴らしかったといい、ブラジルにとっても決して簡単な勝利ではなかったことがわかる。日本は何度も相手のスパイクを拾い、繋いで、最後はアタッカーが決める。絶対に相手に決めさせない、こっちが決めてやるという勢いは、決してブラジルにも負けていなかった。

 

そんな彼女たちの戦う姿勢に、私は感動し、多くのことを学び、勇気づけられた。

全10試合の相手全て日本より平均身長がたかく、体格では劣ると言われる日本が、サーブ、レシーブ、繋ぎ、コンビネーションという得意な部分で戦い抜いた。

ぜひ、一度でいいから今回の世界バレーを見てほしい。

Youtubeで試合のハイライト、paraviで試合全てを視聴できる。きっと勇気や感動を得られるはずである。

https://youtu.be/0a-TXurtHz4

 

 

恩送り

お題「ささやかな幸せ」

私の毎日は、大きな良い出来事はあまり起きない毎日である。

 

たまたま電車の席に座れた、少し面白いことがあって笑った等、小さな良い出来事はあっても、それを一週間後まで覚えているほどの大きな良い出来事は中々起きない。

 

そんな日々であるが、たまに、心に残るささやかな幸せを感じる出来事がおきる。

 

私がささやかな幸せを感じる時。

それは、見ず知らずの人から親切にされた時である。

エレベーターで先に降りるよう、ボタンを押してもらったとき。横断歩道で、車に乗ってる人から先に行くよう譲ってもらったとき。

 

人によってはそんなことで幸せを感じるのかと思うかもしれない。しかし、私にとっては、見ず知らずの人から仕事関係なく、親切にされることはとても心に残ることである。

その人がどんな気持ちで私に親切にしてくれるのかはわからない、しかし、その人は「誰か」からの親切を受け、私に恩送りしているのではないだろうか。

 

その恩送りのおかげで、私は幸せな気分になり、また頑張ろうと思い、笑顔になり、私も恩送りをしようという気持ちになる。

ささやかな親切が私の大きなエネルギーになっている。

 

見ず知らずの人に恩送りをしたところで、その恩恵が自分に返ってくるとは限らない、また自分に何か良いことが起きたという実感をえる可能性は低いかもしれない。

しかし、自分のした恩送りが、誰かのエネルギーとなり、それを受けた人がまた恩送りをして誰かのエネルギーとなり、、恩送りの連鎖でいい循環が生まれると思う。

そして何より、人に親切にすると自分も良い気分になる。

 

恩送り。少しでも誰かの役に立てるように、

小さな親切を積み重ねていきたいと思う。