日本語が難しい
日本語を使い始めて数十年経つが、未だに日本語が難しいと思う日々である。
生まれてこの方ずっと日本に住み、日本語を母国語としているのだが、である。笑
例えばオフィシャルな文章を書く時。仕事柄、文章を書くことが非常に多いのだが、カジュアルなブログの文章と違い、独特の堅い言葉や言い回しがそう感じさせる。
お恥ずかしい話だが、仕事をし始めて知った言葉も多く、『思料する』とか『次葉』など、、、聞いたことないよこんな難しい言葉!!と嘆くことがあった。
こうして、ブログで思料するとか次葉とか打ってもなかなか一発で出てこないし、、、
きっとまだまだ私の知らない日本語もあるのだろう。
また、普段は実感しなかったがついこの前、日本語の数字の読み方の多さとその難しさに気づいた。
例えば、4 という数字。
さん『よ』ねんまえ(3.4年前)というのに、『し』ごねんまえ(4.5年前)と読むし、『よん』さい(4歳)、『よ』ねんせい(4年生)、『よ』っつ(4つ)、、その時に応じて読み方が違うし、これは他の数字も他の数字で違う読み方がある。規則性があるわけでもない。
こう考え始めるととまらなくなり、難しいすぎる!日本語!!!となっていた。笑
いつか、日本語は難しくないものだと感じる領域までいくのだろうか?と思いつつ、日本語の難しさに楽しさを感じているのであった。
私が困る話
お店で注文した品ではないものが届いた等、お店側のミスがあった時、みなさんはどのように反応するだろうか。
私はこんなようなミスをされた時、1番反応に困ってしまう。というのも、大抵の場合そのミスはお店側の故意ではなく、その後きちんと対応をしてもらえるし、なにより自分も仕事でミスした時の気持ちわかるからなあ、、と同情の気持ち・逆に申し訳ない気持ちになるからだ。また、そこでお店側を責めたところで事実は変わらないよなとも思う。
だから、私としては、そんな時なるべく波風立てないような反応をしている。今のところそれが一番穏便に済むと思っている。
しかし私の知り合いには、ミスをされた場合に、お店側に嫌味を言ったり店員の話に被せて話したりする人がいる。私はその姿を見て、あんまりいい気分にならない。誰しもがするミスに対してそこまで言う必要あるだろうか?と思うからだ。
これを読んでいる方の中には、自分がお金を払っている以上、お客として文句を言う権利はあると思う人もいるかもしれないし、私は他人に甘いと思うかもしれない。たしかにその意見もわかるのだが、、。
とにかく、タイトル通り、こんな時どんな反応をすればいいのか困ってしまうし、他人が強く文句を言っている姿を見るのもあまり好きじゃない。
なので、実は飲食店等のお店に行くときは、「何事も起こらないでくれ、、」と心の奥で願っているのである。
一定の礼儀
どんな相手であっても、一定の礼儀は必要だと思う。ここでの礼儀、というのは、感謝の気持ち、である。
どうして偉くなると、自分より「下」と思っている人に対して、感謝の気持ちを言わなくなる人がいるのだろうか。
其々立場や、生きている年数、経験は違えど、もとは同じ人間である。何かをやってもらったら感謝をする。それは、年齢とか関係なく、最低限の礼儀として必要だと思う。
感謝をされないからと言って、自分のやる気が削がれるわけではない。だが、お互いより気持ちよくいるために、過ごすために、お互いに感謝の気持ちを持って接することは非常に大切だと思う。
(私の備忘録)
ある年配の方とエレベーターを乗っていた際、降りる時に、私が開くボタンを押していたら、「ありがとうございます」とお辞儀をしていってくれた。私もこのような、どんな相手にも感謝を持って接する人になろう、と心にきめた。
人付き合い
私は人付き合いがあまり得意ではない。特に、同世代の人と付き合うのがどうも苦手だ。
全員が全員ではないが、同世代と話していると、発言の端々にマウントを取ってくるような言葉があったり、(自分がより勝ってると確認したがるような発言)あんまり聴かれたくないことをずけずけと聞いてくる感じがあるからだ。
昔は、同世代とあまり仲良くできない自分を、他の仲良くしている人たちと比較してしまい、自分は良くないのではないか、と思っていた。また、そんな自分を変えたくて頑張って同世代と仲良くしたりもしてみたが、あまり居心地が良いと思わず断念してしまった。
ただ、私が苦手とする同世代との付き合いに限った話ではなく、「一般的」に「こうである」と考えられることが苦手である人もいるということ。また、自分がらしくいられないのなら、それを無理に変える必要はないこと。
人付き合いは流動的であること。(長く一定の人とずっと付き合うのではなく、時によって付き合っていく人がかわる)
これらのことを実感したため、あまり人付き合いが苦手であることが気にならなくなった。
自分が自分が心地の良いように、らしくいることというのはとても大切なことであると思う。
本当に頭の良い人
私の周りには、本当に頭の良い人だなーっと感じる人がいる。わたしは頭が良くないからこそ、本当に頭の良い人に対してしかこうは思わない笑。
私が、頭が良いと思う人の共通点は、「話がわかりやすい」である。
世間で言う頭の良い、とはまた違うかもしれないが、これはかなり大事な要素である。
頭が良いからといって、頭でっかちになり知識をひけらかしたり、難しい事ばかり言うのではない。自分の知識をもって、人にきちんと説明や話をする。また、適切なアドバイスをしてくれる。
だから、頭の悪い私でも、話してるときちんと理解できる。
ちなみに私の周りには「にわか頭の良い人」が沢山いて笑(失礼)、そういう人たちは自分が難しいことを知っていることを誇りに思っているのか、相手が理解できないような言葉を使ったり難しいことを話したりする。何のために話してるのだろう、と思ってしまい、そういう人の話は聞く気が失せてきてしまう笑。
頭が悪いので、本当に頭のいい人にはなれないが、もし将来知識を得て成長したとしてもにわか頭の良い人にはならないようにしよう、相手にわかりやすく話す自分でいよう!と決意した今日である。
存在するだけで十分
「あなたが存在するだけで十分だよ。」
今日、ある人に悩みを相談したときに、その人が私に言った言葉。
これまで人生で言われたことのない言葉。
私は、この言葉を言われて嬉しくて、嬉しさのあまり泣いてしまった。と同時に、これまで悩んでいたモヤモヤがすっとなくなり、心が軽くなった。そして嘘みたいな話だが、悩みなんてどうでも良くなってしまった笑。
「私が存在するだけで十分」
そんなことを言ってくれる人がいるだけで私は十分だと思う。自分のダメなところや、できないことに向き合い、悩み落ち込むこともある。そんな時は悪いところばかりに目を向けるのではなく、自分がいる環境に感謝していきたいと思う。